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ブラックカルチャー的ワシントンD.C.旅行記

 

ブラックカルチャー的
ワシントンD.C.旅行記

オバマ大統領の在任中に息子を連れて行こう!と親子3人で訪れたワシントンD.C.
私と夫は10年振り、息子は7歳の時にホワイトハウスのイースターイベントに参加しているので5年振り。けれどその時は幼過ぎて場所の意味を理解しておらず。と言うわけで行ってきました、歴史を巡るワシントンD.C.ツアー。

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ベンズ・チリ・ボウル

ファンキー!


チリドッグ。この日のBGMはオージェイズ For The Love of Money


我らが大統領と、多分消したいけれど消せないレイアウトなので保存されているヒト



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アフリカン・アメリカン南北戦争博物館



黒人兵士の歴史について語ってくれた館員





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グラフィティ












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ホワイトハウスと、ホワイトハウス・ビジター・センター



ビジターセンターはホワイトハウスに関するミニ博物館。ホワイトハウスについてのミニドキュメンタリー映画もあって面白い


ホワイトハウスが奴隷と移民の「手」によって建てられた歴史を描いた絵本。絵も美しい



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キング牧師メモリアル





周囲にキング牧師の言葉がたくさん彫られている



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リンカーン・メモリアル



リンカーン大統領が南北戦争終結直前におこなった演説
「全人口の8分の1は黒人奴隷であった」



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チャイナタウン

実質的にはもう中華街ではなく、若者たちのショッピングエリア


ミュージシャンやヒップホップダンサーなど、ストリートパフォーマーも多い



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アメリカ合衆国議事堂





ワシントン記念塔




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アフリカン・アメリカン博物館

今月24日にオープンなので訪れられず。残念。次回!



アメリカの歴史、黒人の歴史がしみじみと、でも楽しく染み込んでくる街、ワシントンD.C. とても好きな都市。また訪れます。

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ヒューマン・バラク・オバマ
第1回:父親としてのオバマ大統領〜「私はフェミニスト」


ヒューマン・バラク・オバマ
第2回:バラク・オバマは「黒人」なのか〜人種ミックスの孤独


ヒューマン・バラク・オバマ
第3回:マイ・ブラザーズ・キーパー〜黒人少年の未来のために


ヒューマン・バラク・オバマ
第4回:“二重国籍疑惑”の大統領候補たち〜「生まれつきのアメリカ人」とは?



ハーレム・ツアー(ブラックカルチャー100%体感!)
ゴスペル・ツアー(迫力の歌声を全身にあびる!)
スパニッシュハーレム・ツアー(ラテンカルチャー炸裂!)

 

author:堂本かおる, category:ブラックカルチャー, 05:50
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ヒューマン・バラク・オバマ 第4回:大統領は二重国籍?〜「生まれつきのアメリカ人」とは。

ヒューマン・バラク・オバマ 第4回:"二重国籍疑惑" の大統領候補者たち〜「生まれつきのアメリカ人」とは。

■人間としてのバラク・オバマと、彼がアメリカに与えた影響を描く連載■

アメリカ合衆国は子どもの国籍に関して出生地法を採っており、親の国籍やアメリカ滞在資格の有無を問わず、アメリカの国土で生まれた子はアメリカ国籍を持つ。親が外国籍の場合、母国に子の出生を届け出ると子は二重国籍となる。ただし二重国籍に関する法の詳細は各国で異なる。日本の場合は未成年のうちは二重国籍でいられるが、成人後にどちらかの国籍を選び、原則としては他方を破棄することとなる。しかし破棄の方法や、そもそも破棄できるか否かは相手国による。


アメリカに話を戻すと、この国では米国籍保持者であれば「生まれつきのアメリカ人」か「市民権取得者(いわゆる帰化人)」かにかかわらず、ほとんど全ての地位に就ける。たとえばヘンリー・キッシンジャーはドイツ、マデリーン・オルブライトは旧チェコスロバキアからの亡命者でありながら国務長官にまでなった。特にオルブライトは米国史上初の女性国務長官だった。共和党は基本的に移民に厳しい政策を採るが、ジョージ・W・ブッシュ時代にも台湾生まれ、キューバ生まれの各省長官がいた。


唯一、憲法で「生まれながらのアメリカ市民権保持者 (a natural-born citizen of the United States)しかなれないと定められているのが大統領と副大統領だ。しかし、誕生当時から移民国家であるアメリカでさえ憲法制定当時に比べると現代の人の流れは格段に複雑化している。当時は想定もされていなかったであろう出生や結婚の多様化があり、近年は大統領選のたびに「生まれつきのアメリカ人」とは具体的に何を指すのか、どういった出生であれば「生まれつきのアメリカ人」ではないのかが議論されている。


バラク・オバマ最初の大統領選の2008年、この曖昧な「生まれつきのアメリカ人」規定を盾にバラク・オバマには大統領の資格が無いと騒ぐ人々が現れ、バーサー(Birther)と呼ばれることとなった。彼らはバラク・オバマの父親がケニアからの留学生であったことから「オバマもケニア生まれではないのか」「出生証明書を出せ」と訴え続けた。その声を当初は無視していたオバマ選挙チームだが、後にバラク・フセイン・オバマはハワイ州ホノルル生まれと記載された出生証明書を公開した。しかし、その証明書は記載内容の少ないショートフォームと呼ばれるバージョンであったため、バーサーたちは「これでは信じられない」と、引き続き「オバマはアフリカ人」疑惑を訴え続けた。


それでもバラク・オバマは大統領に当選し、バーサーたちの声もトーンダウンした。出生証明書騒動もいつしか忘れられた。ところが二期目の大統領選が迫った2011年、その時は結局は立候補しなかったドナルド・トランプが再び「オバマはケニア生まれ」疑惑を持ち出した。この時、オバマ大統領はショートホームよりも記載内容の多いロングフォームと呼ばれる出生証明書をホワイトハウスの公式ウエブサイトにアップした。この証明書は今もPDFでダウンロードできる。



この時、オバマ大統領は持ち前のユーモア精神を発揮し、出生証明書のコピーを支援者に郵送し、証明書柄のマグカップを大統領グッズとして売り出した。背面にはオバマ大統領の写真に「Made in the USA」と書き添えてある。その一方で毎年恒例の特派員晩餐会にトランプを招き、ディズニー『ライオン・キング』の仔ライオン誕生のシーンを「私の出生の瞬間のビデオです」と上映して会場とテレビ中継視聴者の爆笑を誘った。




ちなみにオバマ大統領の両親がケニア政府に婚姻届け、バラクJr.の出生届を出していればオバマJr. はアメリカとケニアの二重国籍に成り得たと思われるが、オバマ大統領の自伝などを読む限りにおいてはその気配はない。父バラク・オバマSr.はアメリカに来る前にすでに妻子があり、オバマ大統領の母親とは極短期間の婚期を経て離婚。その後はケニアに戻って再婚し、さらに最初の妻との復縁もおこなっている。アメリカでの婚姻をケニアの親族には知らしめたものの、ケニア社会で公式に喧伝した形跡は見当たらない。


■二重国籍疑惑の大統領候補たち


実のところ、「生まれながらのアメリカ人」か否かの議論が持ち上がった大統領候補は他にもいる。


●ジョン・マケイン上院議員
2008年に共和党候補となったジョン・マケインは父親が海軍勤務であったことから1936年にパナマの海軍基地内で生まれている。


●テッド・クルーズ上院議員
今回の大統領選に共和党から立候補したテッド・クルーズは1970年にカナダで生まれている。クルーズの母親はアメリカ白人、父親はキューバ人。父親は1957年にキューバを出てアメリカで大学に進み、カナダ移住後の1973年にカナダ市民権を取得。その後、アメリカに戻り、2005年にアメリカ市民権を取得。つまりクルーズ誕生時にはキューバ国籍だった。

親と共に幼児期にアメリカに移住したクルーズ自身はカナダとアメリカの二重国籍だった。そのままテキサス州選出の上院議員となったが、大統領選立候補を控え、2014年にカナダ国籍を破棄している。本名はラファエル・エドワード(テッド)・クルーズであり、ラテン名である。特にヒスパニック擁護の政策は持たず、公の場でスペイン語を使うことはほとんど無いが、英語/スペイン語のバイリンガル。


●ミシェル・バックマン下院議員
2012年の大統領選に共和党から立候補したミシェル・バックマンは、同年1月に大統領選からドロップアウトした後にスイス国籍問題が持ち上がった。バックマン自身はアメリカ生まれのアメリカ国籍者だったが、夫がスイスからの移民である両親から生まれたスイス系アメリカ人で、スイスとアメリカの二重国籍だった。

当時のスイスの法によりスイス国籍者と結婚した外国人は自動的にスイスとの二重国籍となったが、1978年にアメリカで結婚したバックマン夫妻はスイスに婚姻届けを出していなかった。ところが大統領選からドロップアウトした2ヶ月後に婚姻届けを出し、バックマンと子ども3人もスイス国籍を取得。この件がメディアで報道され、批判されたバックマンは直後にスイス国籍離脱の手続きを行った。


●ミット・ロムニー元マサチューセッツ州知事
2012年の大統領選で共和党候補となったミット・ロムニーの場合、「生まれながらのアメリカ人」であることに異議は出なかったが、その複雑な出生経緯が話題となった。 ロムニーの父方の祖父母はモルモン教徒のアメリカ人であり、信仰の自由を求めてメキシコに移住し、ロムニーの父親ジョージ・ロムニーはそこで生まれている。ジョージの両親は子にアメリカ国籍を与え、1912年のメキシコ革命時にアメリカに移住。ジョージは1968年の大統領選に立候補し、「生まれながらのアメリカ人」か否かの議論が起こった。


●マルコ・ルビオ上院議員
今回の大統領選に共和党から立候補していたマルコ・ルビオはキューバ系アメリカ人。ルビオの両親は共にキューバ人であり、1959年のキューバ革命時にアメリカに移住。ルビオは1971年にアメリカで生まれている。キューバとの二重国籍を疑う声は一切出ず、単に支持率の低さから大統領選からドロップアウト。本名マルコ・アントニオ・ルビオとラテン名。ヒスパニック擁護策を語り、スペイン語とのバイリンガル。

 

 

上記それぞれの件が話題にはなったが、いずれもオバマ大統領「ケニア人疑惑」ほどの勢いではなかった。そこにはやはり「米国史上初の黒人大統領」への差別、アレルギーがあったと言わざるを得ない。

 

 

いずれにせよ、大統領は「生まれながらのアメリカ人」でなければならないとする憲法は修正なり、追記なりしなくてはならないはずだが、ことが複雑過ぎ、今のところアメリカ社会にその気配はない。-end-

 

 


ヒューマン・バラク・オバマ
第1回:父親としてのオバマ大統領〜「私はフェミニスト」


ヒューマン・バラク・オバマ
第2回:バラク・オバマは「黒人」なのか〜人種ミックスの孤独


ヒューマン・バラク・オバマ
第3回:マイ・ブラザーズ・キーパー〜黒人少年の未来のために



ハーレム・ツアー(ブラックカルチャー100%体感!)
ゴスペル・ツアー(迫力の歌声を全身にあびる!)
スパニッシュハーレム・ツアー(ラテンカルチャー炸裂!)

author:堂本かおる, category:オバマ大統領, 04:01
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