RSS | ATOM | SEARCH
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

author:スポンサードリンク, category:-,
-, -
黒人教会乱射事件と私の10歳の息子
サウスキャロライナ州チャールストンの黒人教会での事件について、息子と話をした。白人至上主義に傾倒していた21歳の白人青年が黒人教会で乱射し、9人が亡くなった事件。

今10歳、小学5年生の息子に事件の概要を説明すると、「アタマのおかしい人はずっと刑務所に入れておかなきゃ」と言う。人種差別主義者による過度の黒人差別の実態をまだ知らないのだ。

私「んー、犯人のアタマがおかしいのは確かだけど、"精神の病気"だったら刑務所じゃなくて病院で治療を受けないとね。この犯人はブラックピープルが嫌いでやったんだけど」

息子「でも、死ぬまで刑務所に入れるのはかわいそう」

CNNが犠牲者を偲ぶ遺族のコメントを流していた。

私「犯人は黒人というグループが嫌いだったんだよね。一人ひとりは善い人で家族もいるってことに気付いていなかったと思う。黒人が全員悪人とか善人とか、白人が全員善いとか悪いとかないよね。犯人は今、遺族が悲しい思いをしてること、どう思ってるかなあ」

息子「ホワイトピープルも悪人ばかりじゃない。(マイケル・ブラウン事件の抗議集会で参加者が)警察はダメと言ってたけど、警官にも善い人はたくさんいる。皆を守ってくれている」

私「犯人は黒人の友だちがいなかったと思う。だから黒人のこと嫌いだったのかも」

息子「じゃあ黒人の友だちを作ってあげて、ずっと一緒にいさせるといい」

息子「それと! 銃は要らない! 皆、どうして銃なんか買うの?」

実際の会話はあちこちに脱線しながら進んだものの、おおよそこんな内容となった。



警官に射殺/絞殺された、または警察の拘束下で死亡した黒人男性たち

昨夏、ミズーリ州ファーガソンで18歳のマイケル・ブラウンが白人警官に射殺されて大騒動となったあたりから、息子にも少しずつこうした事件の説明をしてきた。息子が覚えていたように、ニューヨークでの抗議集会にも連れていった。以後も同様の事件が続いているため、「どうしてブラックピープルばっかり殺されるの?」と聞くこともあった。けれど今回の犯人にはなぜか同情している。CNNに写った顔が、人相は悪いとはいえ実年齢よりも若く見える(=自分に近い世代)からだろうか。

息子は学校ですでに奴隷制や公民権運動について基礎的なことは学んでいるが、詳細はまだ。何より子どもであるため、自覚できる直接的な人種差別を受けた体験がなく、“黒人史=一連の事件=自分”が未だ一本に繋がっていないのが見てとれる。

子どもの生活はどこでも似たようなもので、基本は家と学校の往復。息子は黒人街ハーレムの中で暮している。日常的に出会う白人は学校の先生のみ。再開発以降にハーレムに越して来た白人は当然リベラルでフレンドリー。息子がハーレムの外に出る時は必ず親が同伴する。タイムズスクエアに映画を観に行こうが、アッパーウエストサイドの本屋に行こうが、ロウワーイーストサイドのカポエラ教室に通おうが、独りになることはない。仮に独りで歩いても、幸か不幸か小柄で幼く見えるので、今もまだ気の善い白人警官から「よぉ!坊主!」と声を掛けられる外観であり、心配はしていない。

黒人少年の人生の第二の節目はこの後、中学生になる頃にやってくる。体格が大きくなり、大人の同伴なしの単独で、または友人と出歩く。世間の扱いが“子ども”から急に“黒人の男”となる。

以後、少年たちはいろいろな体験を重ねる。買い物に行くと万引きしないかと警備員に目を光らせられる。エレベーターで女性と2人だけで乗り合わせると相手の表情が緊張することに気付く。果てはひったくり予防にバッグを抱きかかえられる。学校、飲食店、地下鉄など、どこかで何か不祥事や事件があると真っ先に疑われる……そうした出来事の最悪のパターンがトレイヴォン・マーティン、マイケル・ブラウン、タミア・ライス、オスカー・グラント、ショーン・ベル、エリック・ガーナー、アマドゥ・ディアロ、エミット・ティル……問答無用に撃たれ、殴られ、首を絞められ、命を落としてしまうのだ。

黒人の子を持つ母親たちは、こうしたことが自分の息子に起こることを常に恐れ、起こらないようにと祈っている。

アメリカの主流社会が知る由もない、マイノリティ社会のリアリティ。

 


ハーレムツアー(ブラックカルチャー100%体感!) LOGO

歴史的黒人大学を含むアメリカ留学サポート U.S. College Connection はここをクリック!




 
JUGEMテーマ:学問・学校
author:堂本かおる, category:アメリカ文化・社会, 18:30
comments(0), trackbacks(0)
ルー語でゴー!
★アプライしてバケーション

筆者はルー大柴氏のファンだ。「ルー語」にとても惹かれる。「トゥギャザーしようぜ!」はもちろん、「薮からスティック(棒)」「寝耳にウォーター」といったゴロのいい諺にもシビれる。先日も愛媛大学ならぬ愛媛ユニバーシティで「人生はマウンテンあり、バレーあり」と銘打った講演会を開いたりと、ますますの活躍振りで嬉しい限りだ。

なぜルー語のファンかと言えば、アメリカ暮しの長い日本人の例に漏れず、いつの間にやらチュラルにルー語を使うようになってしまったから。「バケーション取った?」「あの学校にアプライしてるんだけど」などなど在米日本人同士で、日本の人にはかなり嫌がられそうな会話を交わしている。

先日も米国永住日本人のグループに日本から仕事で渡米中の男性が独りというシチュエーションがあり、ある女性が「あれはエクスクルーシブだから」と発言。男性は「あのぅ、エクスクルーシブってなんですか?」と聞き返した。日々こんなふうだから、ルー語を聞いて笑うのは自虐のカタルシスなのだ。

★同時通訳者は天才!

母国語と英語がちゃんぽんになるのは日本人だけではない。中南米系のニューヨーカーは猛烈な早口でスペイン語と英語が混じったスパングリッシュを喋っている。西アフリカ諸国から来た人たちの話を聞いていると、部族語なのに時々「メルシー」とか、「OK」とか言っている。部族語、彼らの共用語であるフランス語、アメリカに来てから学んだ英語が三つ巴になっているのだ。

並みの言語能力しか持たない凡人は大体こうなる。言葉の切り替えスイッチがシャープに動作しない。

アメリカ人と日本人の間に立って同時通訳会話をすると、それを思い知らされる。英語を話さない友人の言ったことを英語でアメリカ人に伝える。アメリカ人の返事を日本語にして友人に戻す。友人の次の質問をまた英語にしてアメリカ人に聞く。これを何度か繰り返すうちに脳みそが混乱し、うっかり日本人に「Because, she's...」などと英語で言ってしまう。会話の内容は買い物であるとか、道順であるとか、至って簡単であるにもかかわらず。

逆に言えば、専門的な内容を二言語ぶれずに正確に訳すプロの通訳者は言語の天才なのである。それでも連続通訳時間は20分が限界、長引く場では複数の通訳者が交代で務めるのである。

★言葉を越える何か

ルー語が生まれたのは、ルー大柴氏が若い頃に帰国子女のガールフレンドと付き合っていたかららしい。彼女も日英ちゃんぽんのナチュラル・ルー語を使っていたのだろう。なるほどアンダースタンドだ。

こうした言語の混乱を理由に、複数言語教育に意義を唱える人がいる。

筆者の知人に中学時代からアメリカに住んでいる日本人と、カナダで育ち、いったん帰国して中高を日本で過ごし、アメリカの大学に進んだ日本人がいる。2人とも「英語も日本語も中途半端です」と言う。どちらの言葉でも日常生活での不便は無いバイリンガルだが、複雑な心情などを語りたい時に語り切れていないように感じるらしい。敬語も苦手だと言う。子どもの言葉から大人の言葉に少しずつ移行する中高生時代に言語環境が変わったことが原因なのかもしれない。けれど2人とも複数の言葉と国と生活環境を知る人ならではの感性を活かして映像クリエイター、異文化プロデューサーとなっている。

日本国内では当然、正しい日本語を維持する努力が為されてしかるべきだが、1億3千万人もの人口のうち、何パーセントかはこうした言語感覚を持つ人がいてもいいのではないかと思う。時に日本語が不正確であっても、それを補う何かをこうした人々は持っている。それを許容し、活かす社会であれば、結局は社会の利益になるとミーは考えるのだが。いかがでしょうか、ジャパンのエブリバディ。それでは今年もよろしく! ハヴ・ア・グレート・イヤー!

雑誌インサイト 2015年1月号掲載
ビッグアップルの芯 Vol. 66「ルー語でゴー!」
 



ハーレムツアー(ブラックカルチャー100%体感!) LOGO

歴史的黒人大学を含むアメリカ留学サポート U.S. College Connection はここをクリック!




 
JUGEMテーマ:学問・学校
author:堂本かおる, category:アメリカ文化・社会, 13:28
comments(0), trackbacks(0)
ハーレムの子どもはクリスチャン? イスラム教徒?
先週、5年生の息子が学校からコロンビア大学の見学に行った際、保護者ボランティアとして同行した。

コロンビア大学には来訪者のツアーガイドを担当する学生がいる。私たちのグループには音楽専攻で、卒業後は院に進んで音楽で博士号を取りたいという学生が付いてくれた。彼女に率いられてのキャンパス内ツアーで古くてきれいなチャペルに立ち寄った際、子どもたちの宗教や民族のバラエティを垣間みる瞬間があった。

※ニューヨーク市内の小学校のほとんどは5年生まで。息子たちは6月に卒業して9月から中学生になる。入学時期と誕生月の切り方が日本とは異なり、6月時点では5年生は10歳と11歳が半数ずつ。息子の学校はチャータースクールと呼ばれる半官半民のような学校なので留年があり、12歳の子どもも少し混じっている。



コロンビア大学のブレスレット。同大学の多様性を表している。



チャペルの前に立った時、プエルトリコ系の少年S君が「カトリック教会だね」と言った。実のところ、そのチャペルは教派を問わない"Nondenominational"と呼ばれるものだったけれど、内装は確かにカトリック風だった。息子の学校の生徒の大半は黒人。信仰の篤さは家庭や個々人によってそれぞれなれど、キリスト教プロテスタントが多い。ただしプエルトリコ系などラティーノの生徒も3割くらいいて、彼らの多くはキリスト教カトリック。以前、S君のお父さんに「ブロンクスの教会の聖歌隊に参加しているから、一度聴きに来て」と言われたことがある。

保護者ボランティアは生徒5人ずつの監視役になっていて、私の担当する生徒の一人、H君がチャペルの中に入らず、入り口脇に立っていた。「中に入らないの?」と声を掛けたら、彼はこう答えた。

「居心地が良くない。ボクはイスラム教徒だから」

「そっか。じゃ、入らなくていいけど、この音楽はどう?」と聞いてみた。ちょうど荘厳なオルガンの演奏が始まっていたから。すると好奇心が湧いたらしく、H君は中に入って演奏を聴きながら、高いドーム状の天井を見上げていた。

クラスには他にもイスラム教徒の生徒が何人かいる。西アフリカ諸国からの移民二世の子どもたちで、スカーフを被っている女の子、クフィという帽子を被っている男の子もいる。その子たちは特に気にする風でもなく、全員がチャペルの中にいた。

クフィを被っているJ君も私のグループだったので、チャペルから出て来た時、入り口のポスターを指しながら、「このチャペルはいろんな人が使ってるんだね」と声を掛けてみた。ポスターには多彩な人種や民族の人が10人近く写っていた。そのうちの1人がターバンを巻いたシーク教徒の男性で、J君はなぜか自分の双子の弟に「見て、この人、ほら!」と見せていた。一緒にいた西アフリカ系の女の子は、やはりポスターに写っている黒人女性のDialloという名前を見て、「アフリカの名前だ!」と嬉しそうに指差した。

ハーレムの住人の多数派はアメリカ生まれのキリスト教プロテスタントの黒人。400年前に奴隷としてアフリカから連れて来られた人々の子孫だ。けれど今のハーレムは西アフリカからの移民、カリブ海からの移民、カトリック教徒、イスラム教徒、スペイン語話者、最近では中東系やアジア系も含め、かなりの多様性がある。彼らマイノリティの子どもたちは、自分がハーレムというマイノリティ・コミュニティの中でさらにマイノリティであることを認識している。だから自分と同じグループに属する他者を見ると親近感を持つ。

アメリカの複雑な構造。人種的、民族的、宗教的マイノリティ社会の中に存在する、さらなるマイノリティたち。



ハーレムツアー(ブラックカルチャー100%体感!) LOGO

歴史的黒人大学を含むアメリカ留学サポート U.S. College Connection はここをクリック!





author:堂本かおる, category:アメリカ文化・社会, 13:05
comments(0), trackbacks(0)